トークイベント 「人工知能の時代のクリエーションについて」

アンスティチュ・フランセ東京で2月10日(金)から3月20日(月・祝)まで第6回「デジタル・ショック」が開催されます。
デジタルショックは今回で6回目ですが、展示のコンセプトは

「欲望する機械」と題した2017年のプログラムは、人工知能をテーマにして構成され、私たちと機械やロボットとを結びつける感情的なつながりや、時には対立をはらむつながりを探求することを趣旨とします。
人工知能は近年、飛躍的な発展を遂げる分野となり、かつて人間のものだった仕事を機械に任せられるとますます考えられるようになっています。アーティストはこうした技術の発達が開く新しい展望を認識して、すでに人間と機械の最初の恋愛関係すら空想しています。
「デジタル・ショック」では、この研究分野がさらに私たちにもたらすものを想像しようと、東京ドイツ文化センターをはじめとするパートナーの皆さまの協力を得ながら、一連の特別なアートイベント、インスタレーション、オーディオビジュアルパフォーマンス、対談などを開催します。

というものです。

カメラで人の顔を認識して肖像画を描くロボット。

オープニングトークイベント 「人工知能の時代のクリエーションについて」を聴講してきました。

トークイベントはニコラ・メグレとマリア・ロスコフスカ(Disnovation.org)、久保田氏と渡邉朋也氏の4人の方による、人工知能の発展とこのテクノロジーが、どのように創造性やアートに影響を与えるのかについてのトークイベント。

メモしていた中からトークの内容を一部抜粋して記述します。
討論の前後関係がないので 真意がわかりづらいかもしれません。印象に残った言葉をこのトークのキーワードして記載しました。あくまでもキーワードとして。

トークから、キーワード抜粋

Aiを使ってワクワクさせる、

これからどうなるか?
いろんなプロダクションをしていくそれによってアーティストとかいろいろな影響を与える

アルゴリズムを作る、プログラムを作るのはある程度の制約がある
人間の意図が入っているのでそれを忘れてはいけない
それを忘れないようにしないとプログラムは想像できないようなものになってしまう。
その事を忘れてはならない。

kubota氏
(AIやプログラミングは)人間が作るからには人間の痕跡は残る。

Watanabe氏
 botが考えたものをbotが解釈するところを想定し年頭に置いて作っていた。
ダダやフルクサスがやった事をもう少し先に進める。
まったく思考が違ったものに触れられる機会があると良いと思う

kubota氏
これは(作品は)なんとよべば良いか、作品?

Watanabe氏
作品を作る時に「新しい雑草を作りたい」と思う、
作品という呼び方が嫌で、あらかじめ環境に埋め込まれた雑草を増やすような作品を作りたい。

イベントとかシチュエーションとよべば良いのでは。

Nic
Watanabeさんのコンセプトに興味を持ったのは自分の意味を作り上げてある環境を作り上げたところ。
デジタルでないものをの越そうする、入り方としてとても強い印象を与える物になる。

もうひとつの話題、人工知能と芸術についてのトーク

AIはお金もちのためのもので知能の擬人化モデルである。
(森をみると人の形に見えるなど、人はモノを見る時に) 何の気なしに人に見立てている。

動物を見る時に人間というメタファを通してみていいのか?という議論がある
(ペットをみて「悲しんでいる」「喜んでいる」と言うが、本当に動物はそういう感情なのか?人間の感情を当てはめているだけではないか?
象が鼻で筆を持って絵を描いているスライドを見せながら)
動物に絵を描かせる行為と AIに何かをさせる行為とどう違うか?

BEYOND THE BRAIN (野生の知能)

野生の思考にゆらいしているけど
AIは大脳を尊重している シンプルなアルゴリズム。
シンプルなアルゴリズムと実行する身体と環境の相互作用から生まれるのがインテリジェンス。

自然計算 自然そのものの中に計算が含まれている。
砂も木 自然そのものが計算している。

アニミズムは生命に限らずモノにも宿っている。

開かれた中の知性が重要になってくる。
最後の障壁になるものが「擬人化」

Nic
環境とのインターアクティビティ
私たちが考えたのはテクノロジーが芸術にどのように使われているか。

ツールをつかって芸術を拡張していく。
テクノロジーを使う 競争のようなもの。

答えを考えなくてはいけないような想像主義の常にテクノロジーを使って複雑にするのではなくシンプルにする事も大切。

オープニングレセプション

トークイベント後はオープニングレセプションがあり、作家の方やこの展示関係者の方大勢で賑わっていました。